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映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

無垢の祈り(2015/日本)亀井亨

邦画

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9歳の、文字通りの「少女」、福田美姫の映画。両のまなこの真白さ、声のあまりのあどけなさ。

 

闇夜に浮かびあがる、ぼんやりと照明された工場群のシルエットが、まるでどこかの架空の近未来都市のようにそこに映し出される。少女が自転車で走り回る街並みは押し並べて生気なく、いわば殺伐たる末期の状景として画面に露わになる。ごく薄暗く色調貧しい画面の光彩は、そのまま色調を喪った世界の表象となる。

その中で、しかしそれでも色調として意識されるのは、その世界の中を彷徨する少女の両のまなこの真白さなのではある。その両のまなこは薄暗く色調を喪った世界でそれでも真白く光沢を放つ。視線を通した心情の授受を拒絶するような、けれど目前の醜悪にも視線を背けたりはしない(出来ない)その両のまなこ。

 

だがそのまなこが醜悪に潰されるとき、はじめて少女は声らしい声を発する。その絶叫は人間的な心情などそなえているのかどうかも怪しい殺人鬼に向けて自身の殺害を懇願する。懇願するその絶叫が、しかしまぎれもなく子供の声でしかないことが、この映画のこの映画足る由縁にさえなる。

醜悪を目前に曝け出されて、只管口を噤むばかりだった少女がそれでもふと漏らす声は、しかしまぎれもなく子供のあどけない声で、それがまなこを潰されることで、まるで潰されたまなこが声をあげるが如く、少女は声を吐き出す、絶叫する。

まなこの真白さはそれ自体がものを見つめる眼差しで無言のうちにものを語っていたが、それが潰されることではじめて叫びをあげる声は、しかしはっきり絶望を露わにする声でしかない。

こんな物語は、言わば「心傷ポルノ」とでも言われるべきシロモノでしかないのかも知れない。つまり、捏造された心傷への否応ない同一化しかめざされていないような物語でしかない、と。だがそれでもそれを見るべき映画に成さしめたのは、福田美姫という9歳の少女のまなこと声が露わにするそのかけがえのなさだったように思われる。

 

少女が自転車で街を走る、その自転車のスピード感こそは、少女の少女性の発露ではあった。そのショットが挿入されるタイミングが、映画の叙情的なリズムをさえなしていた。