映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

少女(2016/日本)三島有紀子

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ほとんど劇画調とも言える、陰影の厳しい本田翼の貌。曰くありげに険のありすぎて寧ろ希薄にも見えてくる表情は、しかし実際によくも悪しくも本編全体がなにか希薄な紙の上にでも書かれた少女漫画のように見えてくるこの映画には、似つかわしい貌だったかも知れない。如何にも言葉通りに陰険な表情で他者をにらみつけるその貌は、しかし本編全体で一貫したキャラクターを通すわけでもなく、たとえばこしゃまくれた難病の少年達とふれあえば途端に年頃の素直な女子高生の素顔をさらしてしまうのでもあり、つまりは物語として頼りない。映画に臨んで、あやうい意味に於ける「少女」達の内向して閉塞した、互いに互いをその視線で照射し乱反射し合うような心理劇を見ることになるものかとこころ構えしていたかも知れない見る者の意識は、その屈託もない脱臼にあっけなく弛緩することになる。

 

それにしても、本田翼の貌(に懸けられたのだろう画面の演出)が、映画をかろうじて支えている。苦境の親友の為にほとんど祈祷に近い真摯さで全力で書き続けたものだろう作品を、ついに書き上げた時に見せる、そのつかの間の彼女のなんとも言えない表情と、ふと脱力してほとんど自然に眠りに落ちるように机上に半身を横たえようとするその姿は、それ自体がごく幸福に充たされた少女の表情とその姿でこそあって、掛け替えのない肖像のように見る者の目に映る。彼女の部屋の窓にさがるカーテンは、つねに静かに微風に揺らぎつつ、彼女が険しい表情で作品を書き続ける時には何処かしら不穏に、しかしついに作品を書き上げた時には如何にも平穏な、祝福に満ちたゆらめきをこそそこにたたえている。たんにカーテンがゆらめいているだけで、それだけで画面に表情が出る。人がけっして世界から孤立した存在なぞではないことがそれだけで判然とする。

 

ときにショットがつやめいて光る。どうということもない一場面の、山本美月の風に逆巻く長い髪。漆黒の闇夜の中に照明の光源だけが輝いていて、逆巻く長い髪が闇の色に溶けてしかし照明の光源に巻きつくように絶え間なく蠢動する。なんなんだろう、と思うが、そんなショットがときに画面を彩るこの映画は、本編全体はけっきょく希薄な紙の上に描かれた少女漫画の他愛のない話のようではあっても、それでもそれなりの映画ではある。

 

本編末尾、「了」の一字が書き終えられる前に映画は閉じる。本田翼が文章を「打つ」のではなく飽くまでも肉筆として「書く」のは、物語論的にはそれがやはり親友の苦境への祈祷文だからだろうが、映画に挿入されるカツコツとした執筆の打突音や、その鉛筆のインチサイズといった細部が、この映画の中で書くことの身体性の感覚を暗に支えてもいる。だからこそ、「了」の一字をめぐる映画の最後の演出が有効に活かされることにもなる。