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映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

映画覚書・01(「映画史的記憶」)

いわゆる「映画史的記憶」なんてものが意識されねばならないのだとしたら、それはつまりは抑圧を感じなければならないということなのだと。それは作り手は勿論、受け手に於いてさえ映画に倫理的にかかわりたい、かかわるべきだと感じるのなら、そうであらねばならないということなのだと。決してスノビズム的選別意識でもって高踏的に趣味を披瀝する為なんかじゃないのだと。
先達の達成があるということをまず弁える、そしてそこから、「今ここ」の自分達にはそれでも何があり得るのかを考えろ、そこから生み出せ(創作しろ)、ということなのだと。「オマージュ」だのなんだのと「判る人には判る」的な引用ゲームだの真似っこゴッコだのがことさら有意義であるわけもなく、つまりはことの魂(それがそれであることの由縁)こそを蘇らせ活かさねばならない。それをこそ受け継ぎ、受け渡せ、ということなのだと。それが倫理的であろうとすることだと。
映画は(あるいは映画だけではなくあらゆる創作は)、しかし世界自体と向き合う営為でもある。世界自体は本来常に誰の前にも開かれているものだから、つまり本当は誰であれあたえられた「今ここ」から世界自体を見い出し、掴み出し、そこから歴史を生き直す(創作する)ことは可能な筈なのでもある。あるいはむしろ、ことの魂を蘇らせる為には自分自身もまた世界自体と向き合う肉体(実存)を生きていなければならない筈で、そんな肉体(実存)をもたない「映画史的記憶」は、つまりたんなる引用ゲームや真似っこゴッコでしかないものに堕するのだと。