映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

荒鷲の翼(1957/アメリカ)ジョン・フォード

f:id:menmoku:20170208190746j:plain

 

航空映画かと思っていたら海軍出身の脚本家の伝記映画。主人公が軍属である前半は軍隊ものだが、決定的なハンデを負って海軍を退いてからは伝記もの。

制服は映画と相性がいいのかも知れない。海軍、陸軍、警察官。それが集団でくんずほぐれつする乱闘は制服の規格が集団を色分けしていてくれなくては成立しない。そしてそこには喧嘩の殴り方と殴られ方がちゃんとある。ジョン・ウェインもちゃんと殴りもすれば殴られもして、きっちり目を廻して見せてダウンする(殴られ方が巧い)。要は発奮の分かち合い。自分ばかりいい目を見ない、という。そこが大人と言えば大人の余裕なのかも知れない(大人だからこそ演じられる稚気)。ともあれ男どもには男どものモラルがあって、それは女子供じみた分別を軽蔑することで際立つ。今となっては昔日の幻想かも知れない。しかしまさに昔日の幻想を描いた映画でもあるのだからそれでいい。

冒頭のマシンアクションが繰り出される場面では、飛空艇をはじめとして、ボート、オートモービル、果ては海上を走る貨物列車まで登場する。飛空艇は旋回を繰り返し、水面をすべり、地表をかすめ、屋根をくぐりぬけ、終いに人びと集うパーティ会場につっこんで派手に大破して不時着する。アクションの起点となる乗り物の介在が、映画を端的に生気づかせることをよくわきまえた作劇で映画を開始する。

ジョン・フォードはやはりアクションの演出家らしく、それは伝記ものでもあるこんな映画でもかわらない。ここでのアクションはそのままコミュニケーションで、男どもの殴り殴られは無論、ジョン・ウェインは細かいところでやたらものを無遠慮に投げ出してばかりで、その半身不随のリハビリは同僚が手にしたバンジョーと共に口ずさむ歌のリズムで成し遂げられる。夫婦別離の契機をめぐるいきさつはさすがにメロドラマになりそうなところが、飽くまでそれを拒むかのごとく、モーリン・オハラが音楽をかけようとしたジュークボックスは何故か狂ったようにレコードを次から次とはじき飛ばす(あまり突拍子もないので笑える)。

だがその映画の生気も、人物達が人生の後半に差し掛かるとさすがに退潮する。ジョン・ウェインは杖をつきながら歩かざるを得ず、回想シーンが尤もらしく壮年の風貌をしたその脳裏をかすめるごとく挿入されざるを得ない。『長い灰色の線』のように、物語上の流れがそのまま否応なく映画自体を退潮させてしまう。