映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

呪怨 終わりの始まり(2014/日本)落合正幸

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呪怨」なんていういかがわしい造語を尤もらしくタイトルにもってくるあたりからして、シリーズの初めから「ネタ」として勝負しようという企画だったんじゃないか。恐怖アトラクションとしての現代日本版ホーンテッドハウスもの。

このシリーズで興味深いのは、恐怖劇の舞台となるのが、どうということもない現代日本の住宅街の一角にある、なんのことはない今風の一戸建て住宅だったりすることではないか。今風の一戸建て住宅は、映画に描かれるホーンテッドハウスにありがちな人を寄せつけない不気味な陰鬱の雰囲気を一見装わない。中に入ってみてもやはりごく当たり前の明るさに充たされていて、何が潜んでいるような気配でもない。そこにそれでも怨霊じみた存在が出現するときは、さすがに廉隅の暗闇を媒介して登場しもするが、いざ出現した怨霊じみた存在は、如何にも化け物らしい様相や形相で迫りくるとはいえ、見る限りあまりにもあからさまに日の光のもとに存在する者たちでしかない。

化け物は、布団の中、冷蔵庫や引出の奥、天井裏など、日常的な生活空間の隙間や舞台裏のような場所からどことも知れぬ闇の向うへと被害者達を連れ去っていくようで、それは日常の明るさの裏に介在する異界の存在を思わせる。『ポルターガイスト』だの『ガバリン』だの、アメリカのホーンテッドハウスものにも通じるセンスはあるようにも思われるが、しかしそれらとこのシリーズとで異なっているのは、闇の向うにあるかも知れない異界の存在を具体的な空間として描こうとしないことにある。そこに具体的な闇の世界が描出されてこそ映画は映画的と言い得る空間の展開を果たすこともできようものを、ここでは恐怖劇は飽くまで卑小な日常的茶番劇の域を出ないまま終わる。

今風の一戸建ての、けれど人気なく鈍い光に充たされただけのがらんとした室内という景色は、それはそれで薄気味悪いものはある。尤もらしい闇よりも、むしろその鈍い光のぼんやりした淀んだ空虚のほうが、より薄気味悪い。異界の存在を描かないまま、その奇妙に明るい空間の中での恐怖劇をあからさまに演出するこのシリーズは、その点に於いては独特だったかも知れない。尤もらしい闇よりも、卑小だが偏在的であるが故に遍在的な隙間や舞台裏の暗がりに異界の端緒をほのめかす。しかしそれが見る者の実存自体を脅かす遍在感覚に至ることもないのは、それがけっきょくほのめかすだけのこけおどしでしかないからだ。

あらかじめの企図だけがあって、センス(・オブ・ワンダー)に欠けている。