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映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

マタンゴ(1963/日本)本多猪四郎

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幕あけと幕ひきに画面を彩る東京のネオンの毒々しい色合いこそ、この映画のほとんど全てをそこに具現しているかのように感じられる。精神病棟らしき監獄のような部屋の窓から垣間見える夜の東京のネオンの光、そのぎらつく毒々しさが、マタンゴの誘う狂気のセカイの毒々しさに通底したものとして描き出されているのは自明だが、それを描き出すのに実景としての東京のネオン街を映し出すのではなく、飽くまでセットとして組まれたミニチュアを介して提示しようとする感覚こそ、映画の映画足る由縁をさえあかししているようにも思われる。ミニチュアとして提示するということは、つまりあれこれとカットなど割らず窓の向こうに1ショットの場景として全てを示すという演出意図でこそあって、箱庭的に、如何にも人工的に設えられたミニチュアの東京のネオンは、そのいかがわしい毒々しさの光彩と陰影に於いてずっと実景を凌ぐ。

銃に弾丸がどれだけ装填されているのか判らなかったり(際限なく発砲する)、着ぐるみが着ぐるみにしか見えなかったりなどというリアリティに於ける限界がそのまま表現の限界になってしまうのが、今見たところの特撮のさびしいところではあるのかも知れない。だからと言って厳密にリアリティにかんがみて演出し、CGでごく微細に至り描出し得たとしても、この映画のような“味”が抽出され得るとも限らない。とくに特撮は、これがもしCGで全て表現されたとしたら、東京のネオンもマタンゴ達もたんなる仮想的に再現されたイメージにしか見えなくなる。ゴテゴテとした実在の感触が、マタンゴを如何にも「マタンゴ」足らしめて(ゴジラを「ゴジラ」足らしめたように)、東京のネオンの毒々しさをそれとして印象づけてくれたのだと思われ、ともすれば滑稽に転化しかねない(転化しかけている)危うさのうえで成立したればこそのその特撮であって、この映画ではある。

89分の映画。