映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

勝手に逃げろ/人生(1979/スイス=フランス)ジャン=リュック・ゴダール

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女優大会。売春を扱うので結構描写は際どい。でも「男と女にはけっきょくアレしかないんよ(『四畳半襖の裏張り』)」という悲哀のこもる事実から逃避しないのは大人らしく潔い。

女優の顔が、生々しく艶めく。ふつうの意味での演技でも演出でもなく、キャメラと被写体の関係で女優の顔を捉えるからかも知れず(だから女に逃げられるのかも知れず)。常套手段の字幕画面挿入は画面を物語映画的な流れから剥離させる効果もあるかに思うが、それでも魅力的な女優の姿や光さす瞬間の場景なぞしっかり収めてしまえば、それだけで映画は成立してしまうという事実をそこに具象化してるような画面。

女優大会。これは79年の映画だが、ふと考えれば映画の世界ほどいまだに男女の役割が保守的に営まれている環境はないんじゃないかとも思える。写す(映す)のは男性で写される(映される)のは女性。極論すればそれでこれまでの映画史は成立してきたんじゃないか。この映画はこの映画で、その意味では男性であるゴダールの妄想の産物なのかも知れないが、そのゴダールの妄想に拮抗しあまつさえ凌駕出来た女優は結局アンナ・カリーナしかいなかったということであるのかも知れず。いろんなタイプの美人が出てきても決定的なヒロインは不在。

幾度となくスローモーション。とくに女優を捉えるそれが艶めく。ふり乱れる豊かな髪、あだっぽい眼差し。それもまた演者自身に意識されざる生々しく艶めく瞬間をこそ捉まえたかったのかも知れず。スローモーションもまたここでは単なる瞬間の拡張と言うよりは事物の把握のための効果を生む。

ラストカットの一瞬の光の充実ぶりってなんなのか。演出家にその瞬間は意図して待望されていたんだとしても、あるいはそうでなくても、それを現に写し撮れてしまうことは凄いこと。

(DVD付録インタビューでレナート・ベルタが言及していた偶然映った通行人同士のキスシーンは、自分は見逃していた。そんな事件ですら漫然とした視線は簡単に見逃してしまう。)