映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

神々のたそがれ(2013/ロシア)アレクセイ・ゲルマン

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英題は"Hard to Be a God"(「神様はつらいよ」?)だから、本来飽くまで唯一神の謂いを含めたタイトル。

乱雑に乱暴に進行するかの如き映画の画面は、そのじつ表現…と言うより具現したい意図のつまったイメージでいっぱいで、息をつぐ暇もない感じが延々いつ終わるとも知れないように続く。露悪的に露出され続ける糞も尿も尻も性器も乳房も内臓も、醜悪な嘔吐も流血も肉体のあらゆる損壊も、あるいは画面を度々横切る人々の表情や(画面への)目線も、何もかも「これを見よ」がしのオンパレード…。

ただひとつ、少なくとも自分にとってはなんともなしにほっとした細部もないではなし。ごく何気ない、画面の傍らに映りこんでいたなんの役でもないエキストラの青年の何気ない目線の浮ついた動き。どこまでも画面を支配しようとする演出家の意図が及んでいなかった(ように見えた)その覚束ない動きに一瞬目を留めて、多少ほっとした。意図した(された)途端に死んでしまうであろう、意図して(されて)いないことによって“生きている”、動き。

「王(=神)」の如き役割を演じる地球人の男の両の瞳がキャメラに向けられる瞬間や、彼の奏でるサックス(?)の音色が流れだす瞬間、はたまたふとした場面で事物が無音・不動に接近する数瞬間、束の間の寂静めいたものが映画として現前させられるかに見えなくはなかった。(あるいは幾度か閃くハンカチの白い生地。)

この映画にとっての真の(不在でありつつ遍在する)「神」は、勿論演出家アレクセイ・ゲルマンその人。それがいいことなのかそうでないのかはともかく。