読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

キャストアウェイ(2000/アメリカ)ロバート・ゼメキス

f:id:menmoku:20170207233856j:plain

 

飛行機の墜落にこれという原因も明かされず(描かれず)、ことは当事者にとって唐突に起こる。唐突に起こるその出来事は否応なく当事者を巻き込み、運命の渦中に投げ込んでしまう。

物象としての荒海。飛行機の操縦席の窓に迫りくる海面然り、緊急ボートただよううのたうつ海原然り。物象としての力学を感覚させるCG映像は、CG技術のただしいもちいかたのように見える。あるいは場面繋ぎの鮮やかさ。暗闇に沈む海原から、プシュッといSEを介して緊急ボートが陸地に接触したことを直感的に印象づける。場面繋ぎの鮮やかさは画面繋ぎの鮮やかさでもあり、たとえば正体不明の音にビクと反応するトム・ハンクスの、真剣であるが故どこか滑稽でもある表情と動作の瞬間を、1カットではなくカッティングを挟んで提示するその正しさ。

バレーボールのウィルソンは仮想の話相手として設定されるが、それは孤独な主人公の思考と感情を、最低限セリフにも込めて表現する為の作劇設計上の逆算的な方便でもあっただろう。またその反面でウィルソンの登場する以前の場面ではトム・ハンクス演じる主人公がとかく寡黙のうちに生存の条件を整えていくその行動を映画は小気味よく描写しても見せる。必然的ななりゆきで試行と発見を繰り返すトム・ハンクスの、そのプリミティブな知性と感覚の混在したような表情と動作が見ていて素直に面白い。

主人公を救ったのはなんだったのかと言えば、それはけっきょく彼の経験と性格だったとしか言えない。身もふたもなく言えば、彼は彼だからこそ救われた。それは絶対の要件ではないが不可欠な要件でもあり、計測された現象としての(文字通りの)「時―間」に自覚的で合理的な理解さえ具えていた理知的な彼は、その理知故に生存の条件を自ずから整えてみせた。また流れ着いた漂着物の積荷を、しかしすぐさま開けることもなく真に困った瞬間に初めて、しかし今度は躊躇なく次から次と開けてしまうその行動の律儀な起伏にもその性格が見て取れる。つまりそれが彼の人となりだということが見つめられるものの内に端的に示される。

思考や感情といった自覚的な志向性というより、その人がその人であるところの要件としての自然な傾向性が彼を救った。主人公が何がしかの経験に玄人的に裏打ちされた能力と人格を有していることで、映画の即物的な細部の活劇性が人間ドラマに於いてさえ担保される。単純に見ていて面白いものになる。

終盤に至るも場面繋ぎ、画面繋ぎは鮮やかで、CG映像のもちいかたにも無駄はない。重要な瞬間に海原で潮を吹きかける鯨は、しかし実在しない幻影なのかも知れない。夜の場面での鯨の姿は水面に波を立てることもなくすっと(文字通り)消える。しかしその幻影かも知れない鯨の吹きかける潮のイメージが救出に至る場面繋ぎ、画面繋ぎを呆気ないようなリズムでするりと繋いでしまう。このリズムの呆気ないような鮮やかさは、映画から感傷的な演出の余分を排する感触をあたえてもいる。

バレーボールのウィルソンは携帯可能だからこその仮想の話相手(自分の分身)に過ぎないが、人間一人きりの社会と隔絶した孤独な4年間の歳月はそれさえも心の友とさせてしまう。その惜別の場面を単純に笑えてしまう人には(あるいは泣けてしまうような人にも)、この映画はいまいちわからないんじゃないか。