映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

邦画

散歩する侵略者(2017/日本/黒沢清)

「概念」を「奪う」。まずこの大前提からしてあまりに抽象的ではある。抽象的であるが故に、つまりは「画」になりにくく、結果映画は抽象そのものとしての言葉=セリフのやりとりにこそ、依存することになる。 たとえば「家族」、「所有」、「自由」、「仕事…

FAKE<ディレクターズ・カット版>(2016/日本/森達也)

猫が頻りに画面に姿を見せる。誰でも気がつくが、しかし何故猫なのか。むろん「猫」であることに殊更意義や意味が認められるわけでもない。それは意義とか意味とかいう尤もらしい判然とした観念とは一見して無縁で、周縁的、付随的な細部に過ぎない。だがだ…

SHARING(2014/日本)篠崎誠

山田キヌヲという主演女優の寝ているのか覚めているのかわからないような表情が第一印象。寝ているのか覚めているのかわからないのは、しかし映画自体の筋書がそうさせているのやも知れず。寝ては覚め、覚めては寝て、どこまでが夢だか現だかも判然とせぬな…

太陽の王子ホルスの大冒険(1968/日本)高畑勲

画面を彩るアイデア、その豊かさ。たとえば冒頭のホルスと狼達との戦闘シーンからして、あの手斧の「縄」。そのアイデアの出色なこと。単なる剣でも斧でもなく、自在なリーチを展開できる「縄」の結びつけられた手斧というアイデアあらばこそ、そのシーンか…

無垢の祈り(2015/日本)亀井亨

9歳の、文字通りの「少女」、福田美姫の映画。両のまなこの真白さ、声のあまりのあどけなさ。 闇夜に浮かびあがる、ぼんやりと照明された工場群のシルエットが、まるでどこかの架空の近未来都市のようにそこに映し出される。少女が自転車で走り回る街並みは…

この世界の片隅に(2016/日本)片渕須直

壁にもたれたヒロインが首を傾げたショットから、画面がぐらりと傾いで水色の空へとゆらめいていくさまを、どう表現したらいいのか。漫画で表現すれば、四角い紙面にコマを割ってそれにそった読者の視点の移動で疑似的に同様の効果を産み出そうとするのかも…

君の名は。(2016/日本)新海誠

物語はあらかじめ入れ替わりが成立してしまったところから始まる。入れ替わりに至る前段としての日常的な描写はかえりみられず、むしろ入れ替わりをこそ物語の前提として日常的な描写を始める。奇跡はすでに起こっている。あとはひたすら帳尻を合わせていく…

火 Hee(2016/日本)桃井かおり

片脚を高く抱えて、ハイヒールを脱ぎ落して、洗面台に爪先を乗せる女。画面が捉えるその面影ははっきり歳老いてもいなければ、けっして若くもなく。しかしまぎれもなく女。 女は喘ぐ、息を吸い、吐く、頬をひきつらせる、唇をゆがめる、目をむく、鼻で嗤う。…

続・深夜食堂(2016/日本)松岡錠司

風、雨が窓外をにぎわしているかと思えば、しまいには雪も降ってくる。なんてことは、現実では当たり前すぎるほど当たり前の現象だろうが、映画の中では演出として組み込まれた映画的な現実と化す。映画的な現実は画面の内外の総体としての物語なりなんなり…

ヒメアノ~ル(2016/日本)吉田恵輔

クリント・イーストウッドや北野武が、映画の中で何故あれほどまでに敵を圧倒し去る最強ぶりを発揮できるのかと、どこかでだれかが尤もらしく語っていたことによれば、つまり彼らはその暴力行為の発動に際しあるべき段取を欠落させているからだ、という話に…

少女(2016/日本)三島有紀子

ほとんど劇画調とも言える、陰影の厳しい本田翼の貌。曰くありげに険のありすぎて寧ろ希薄にも見えてくる表情は、しかし実際によくも悪しくも本編全体がなにか希薄な紙の上にでも書かれた少女漫画のように見えてくるこの映画には、似つかわしい貌だったかも…

Start Line(2016/日本)今村彩子

映画の監督本人である聾唖の女性が伴走者の男性とともに日本を縦断する自転車の旅に挑む、その過程を記録したドキュメンタリー映画。 キャメラがあり、それがそこで回される、ということは、そのことだけでそこにいる人々の反応をひき起こす。そこに於いてキ…

ふきげんな過去(2016/日本)前田司郎

二階堂ふみの貌の映画。人の貌への凝視が、既知である筈だった面影のその既知の印象を脱色してしまう、ということはある。人の貌への凝視はあるいは現実にはあり得ざるフェティシズムの発露かも知れない。しかし現実にあり得ざるということが映画の欠点にな…

映画 ビリギャル(2015/日本)土井裕泰

何かを見つめる少女の面影のカットから映画は始まるが、何より何かしらの空気をふるわせるような音響が、さりげなくにせよ見る者の耳に届いてくる。カット変わればそれば鉄橋上を走る抜ける新幹線の走行音だということは判るが、さりげなくにせよ届いてくる…

乃梨子の場合(2014/日本)坂本礼

71分、ピンク映画なのらしい。しかしその割に濡場にしつこくない。しつこくない濡場は、それ自体のくんずほぐれつがそのまま人物間の心理=生理のドラマ的な運動そのものの如くに見えてくる。それでなくとも、71分という、一般映画に比べれば短いと言えるだ…

シン・ゴジラ(2016/日本)庵野秀明

唯一無二な超生物として変態を重ねてきたゴジラが、文字通りに全身から凄まじい光と熱をありったけに「放射」する。もはや裂傷そのもののように赤々とした口をばっくりと開き切って地表に向かって火炎を、光源そのもののように煌々とした背びれ尾びれをふり…

ディストラクション・ベイビーズ(2016/日本)真利子哲也

船泊の海辺の水面が銀色に鈍くぎらつく冒頭、弟のモノローグがかぶさる画面がやがて船泊全体の上方からのロングショットにひいて、サウンドトラックのギターがギタギタと叩きつけられるように響く瞬間、映画が(画面が)その内側からにわかに息をし始める。 …

二重生活(2016/日本)岸善幸

映画冒頭、朝、彼女が彼氏と起き抜けの性交にはげんだあと、徐にベッドから身を起こす。その身を起こす緩慢な動作が、それとなく中を抜かれた編集で提示される。そこからして、なぜそんな半端な見せ方をしなくちゃならないのかがわからない。要らないなら見…

徳川セックス禁止令 色情大名(1972/日本)鈴木則文

脚本にあらかじめ映画を映画なさしめる為の意図があきらかに埋め込まれていたりする。場面をまたいで異なる人物間でセリフが接ぎ木されるように反復される。反復されるそのことによって画面の断続にリズムが生まれ、ほとんどそれだけのことで「映画」はあっ…

クリーピー 偽りの隣人(2016/日本)黒沢清

映画の中には、何より時間的に空間が広がる。思うに映画の表象で文学だの音楽だの絵画だのという表象と最も異なるのはそこなのじゃないか。それはたんに静態的な空間でなく時間的な一定の振幅をこそはらんで展開する動態的な空間であることに大事があって、…

きみはいい子(2015/日本)呉美保

辻褄が合わせられていく映画、つなげられていく映画。 食事のシーンから食事のシーンにつないだり、叫び声から叫び声につないだり、あるいは落ちる涙から雨の一雫につないだり。物語上直接に関係しないエピソードを「つなぐ」ための、また人物と人物や、人間…

任侠野郎(2016/日本)徳永清孝

蛭子能収ありきの企画に違いない。しかしそれを逆手に、ちゃんと「映画」を仕上げてみせる。何より志ありきの映画。 69分という半端な尺、やくざ映画。しかも主演は一見そこらにふつうにうろついていてもおかしくないおっさん。でもそれが立派に映画になる。…

WE ARE Perfume WORLD TOUR 3rd DOCUMENT(2015/日本)佐渡岳利

ライブ映画ではなく、いわばバックステージ物のドキュメンタリー映画。Perfumeの三人は、しかしむろん三人だけでパフォーマンスをなし得るものでもなく、ごくさまざまなスタッフがそれこそ“Team Perfume”として三人にかかわっているのだろうし、確かにこの映…

リップヴァンウィンクルの花嫁(2016/日本)岩井俊二

いわば「リップヴァンウィンクルの花嫁」ならぬ「花嫁のリップヴァンウィンクル」。たとえば「ジュリエッタの魂」でなく「魂のジュリエッタ」であるように。(「リップヴァンウィンクル」ってのがなんなのかは映画見届けた限りではなにやらわからんままなの…

断食芸人(2015/日本)足立正生

カフカの小説は、たとえ発想の起点に不条理な設定が仕掛けられて始まるのだとしても、それを綴り始めた筆は、けっして自らが綴り始めたその物語の行方を知らない。故にそれは時には正体も不明なまま際限なく継続もし、時には瞬間の劇的な展開=転回で断絶す…

真夜中からとびうつれ(2011/日本)横浜聡子

「エーガ」「エーガ」 カタカタ、ギコギコ、ちゃりちゃり、チリンチリン、 パンパン、パタパタ、サッサッ フィルムが回される、ハンドルが回される、コインが落とされる、鐘が鳴らされる、 銃を撃つ、靴で歩く、地面を蹴る 音 ふきだしいっさいなくコマはオ…

渇き。(2014/日本)中島哲也

偏見なく見たつもりでも、どうもCF的な刹那的な映像の集成に見えて仕方ない。雨が降っていても誰の体も雨に打たれることはなく、雪が降っていても誰の心に雪が降り積もることもない(ように見える)。そこに広がる世界の奥行きが見えない。敢えてそうして…

蜜のあわれ(2016/日本)石井岳龍

アクタガワ=高良健吾の喋繰らない時の肖像(陰影)、永瀬正敏の「俺もつれてってくれ…」の時のしかつめらしい、そのじつ呆けた表情(笑える)、二階堂ふみの「母になるんですもの…」の時のクローズアップ、大杉漣のへっぴり腰、真木よう子や渋川清彦のあか…

東京の合唱(1931/日本)小津安二郎

小津映画の子供。そこでは子供は文字通りに子―供であって、複数性をこそ生きるものとして描出される。また同時に大人と隔絶したところに子供はなく、飽くまで大人の存在に付随的に映画の画面とその物語の中に介在することになる(やはり子―供)。この映画の…

うつくしいひと(2015/日本)行定勲

地方(熊本)製作の1時間の小品。冒頭、橋本愛と姜尚中が阿蘇山麓の高原を歩いていくシーンからして、これはイメージフィルムなんだと思える。物を語る為にキャメラのフレームの中に被写体を確固としてとらえようとするのではなく、審美的なオブラートの中…