映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

映画覚書

最近見た映画(その10)

◎『突然炎のごとく』(1962/フランス/フランソワ・トリュフォー) 音が、声が、アフレコなのだろうか。少なくとも同録ではない。同録ではないが故に、その音も声も、むしろ映画にサイレント映画的な肌合をかもし出す。人物は唐突にアクションを起こす。あ…

最近見た映画(その09)

△『シアター・プノンペン』(2014/カンボジア/クォーリーカー・ソト) ポル・ポト政権下に弾圧されて撮影中断を余儀なくされたという映画(フィルム)を巡って30年後の現在に於いて演じられる物語。 映画自体は稚拙かも知れないが、それでも最後のタイトル…

最近見た映画(その08)

〇『キングコング 髑髏島の巨神』(2016/アメリカ/ジョーダン=ボート・ロバーツ) 細かいことを論えば、シーン毎の接続が粗雑。あるいはシーン毎を貫いていくはずのプロットに牽引力がないので、全体として展開が弛緩する。それをキングコングやドヤ顔俳…

最近見た映画(その07)

△『ゆずの葉ゆれて』(2016/日本/神園浩司) 児童文学の映画化らしい。見るべきものがない。「ゆずの葉ゆれて」という題名なのに、肝心のゆずの葉を風にゆらすことすらしない。ドローン撮影によるものだろう空撮があるが安易に用いたものに見える。 〇『夜…

最近見た映画(その06)

◎『おとぎ話みたい』(2013/日本/山戸結希) 一本の映画自体がひとつのからだなのだとしたら、この映画はそのからだの爪先の先までめいっぱいにとぎ澄まして踊りを踊りつらぬいているようなもの、かも知れず。ミュージカル映画がミュージカル映画足り得る…

最近見た映画(その05)

◎『幸福は日々の中に。』(2016/日本/茂木綾子、ヴェルナー・ペンツェル) 貌の豊かさ。と言って殊更その心理的な表情に執着する映画ではむしろない。ただ皆が皆、活きている。そのことが、その貌の豊かさの印象として帰結する。アニミズム的な、うごきま…

最近見た映画(その04)

*「ロマンポルノ・リブート」5本* 『ジムノペディに乱れる』(2016/日本/行定勲) なんでジムノペディなのか。なんでこの男なのか。なんでだいたいロマンポルノなのか。わからない。相変わらず審美的に耽美的なソフトフォーカス。ロマンポルノとして映…

最近見た映画(その03)

△『島々清しゃ』(2016/日本/新藤風) 子供達や素人の老人が主要なキャストで登場するが、そうすると脚本の脆弱さがもろに出てしまう。絞りどころ、落としどころが曖昧なままの構成で印象も曖昧に終わる。人物の語るセリフが地に足着かない(体に具わって…

最近見た映画(その02)

△『暴力教室』(1976/日本/岡本明久) 松田優作主演作。時代劇から任侠劇へと至る定型を学園劇に移植。なのでラストは討ち入り、殴り込み。主演なのだろう松田優作が三白眼をぎろつかせて凄みをきかせる演技はブルース・リー由来なのか。ほとんど冗談みた…

最近見た映画(その01)

◯『映画 「聲の形」』(2016/日本/山田尚子) ミュージックビデオ風なスタート、音に(世界に)無邪気に心開いているかつての少年。水の流れの中に身を踊らせる、いつでもそこに水の流れがある、花火の音。行為の意図されざる反復は、その意味合いの対称性…

映画覚書・02(「そこ」)

映画についての評言。 言葉が視聴覚的な体験の直接性そのものからでなく、意識的な間接性から出ているように読める場合のそれは、事象を分節化する「理解」の無自覚なみ振りでしかないのではないか。言分けしたくても言分けしがたいとうの体験の直接性の感触…

映画覚書・01(「映画史的記憶」)

いわゆる「映画史的記憶」なんてものが意識されねばならないのだとしたら、それはつまりは抑圧を感じなければならないということなのだと。それは作り手は勿論、受け手に於いてさえ映画に倫理的にかかわりたい、かかわるべきだと感じるのなら、そうであらね…