映画に

見たものについての覚書 印象をピンで留め置くように

多国籍映画

クリミナル 2人の記憶を持つ男(2015/イギリス=アメリカ)アリエル・ブロメン

映画の中に世界の細部を切り取る“描写”。 冒頭に展開される銃撃戦。無政府主義者の徒党による襲撃は、第一撃でタクシーの運転手の頭蓋を撃ち抜き、つづいてタクシーのタイヤを撃ち抜きパンクさせる。むろん、移動を封じる為の襲撃の基本的な段取だ。対抗する…

アンジェリカの微笑み(2010/スペイン=フランス=ブラジル=ポルトガル)マノエル・ド・オリヴェイラ

大河の河畔、夜半の街並。その景観のロングショット。それだけでもはや映画の画面。雨降り頻る石畳の路上をヘッドライトを輝かせる車が滑るように走りこんでくる。それもやはり映画の画面。何よりも音。そこで雨が雨として映画の画面を際立たせるのは、まぎ…

灼熱(2015/クロアチア=スロベニア=セルビア)ダリボル・マタニッチ

灼熱とはなんのことか。あるいはそれは画面に刻印された陽光のことか。しかし灼熱と言うにはそれは多分に翳りを帯びて、けっして溌剌とした輝きを見せつけたりはしない。 同じ男女の役者が、1991年、2001年、2011年と、十年ごとに時代が区切られた挿話の中で…

ダゲレオタイプの女(2016/フランス=ベルギー=日本)黒沢清

カットからカットに、運動が持続する。あるいは断絶する。映画はつまりそれだけのことでしかない。だからカットを割ることは重要で、同時にカットを割らないことも重要になる。カットされる画面は基本的に平面で、いくらそれ自体で深度のある空間を表現しよ…

光りの墓(2015/タイ=イギリス=フランス=ドイツ=マレーシア )アピチャッポン・ウィーラセタクン

画面の中で何かが移り変わる瞬間、それを捉まえるその目がそこに息づく限り、映画は映画であることをやめない。微分的な時間の偏差が、それ自体として映画の映画足る所以を保証する。時間の偏差とはすなわち現象の偏差だが、ここでの現象それ自体(たとえば…

世紀の光(2006/タイ=フランス=オーストリア)アピチャッポン・ウィーラセタクン

この地球上のあらゆる場所、その空間もすべては宇宙の一部なのだと。それはもしかしたら、「映画」という一見して文化的・人間的とも了解される枠組を超えた端的な事実でこそあって、そんなみもふたもないようなあられもない事実を、この映画は「映画」とい…

山河ノスタルジア(2015/中国=日本=フランス)ジャ・ジャンクー

一つ一つのショットが、その内部の時間を消費しきる前にカットされて、次のショットへとつながる。「内部の時間」とは、映画全体の物語的な脈絡と連関した人物や事物の画面の中での流れと動きの総体とでも言い得ようが、画面を暗黙裡に内部から活気づかせて…

火の山のマリア(2015/グアテマラ=フランス)ハイロ・ブスタマンテ

少女のクローズアップから映画が始まる。しかし少女の目は終始伏せられ、けっしてキャメラを正面から見据えたりはしない。背後に母親らしき女性があらわれて、少女の身繕いを仕上げていく。 母親と少女が豚を一頭引き摺ってあらわれ、飼育檻の中で雄雌双方に…

旅情(1955/イギリス=アメリカ)デヴィッド・リーン

映画が始まると、海上に伸びる線路上を鉄道が走っていく図。それだけで俄かに映画は映画づく。ヴェニスの街につけば格安運賃の「バス」で行く水路からポーターの案内する裏道じみた狭い路地を経て、ヒロインは宿に着く。観光映画。ヒロインは列車の中にいる…